牧師のコラム

牧師先生のコラムを通して心の糧を満たすことができる時間になりますように。

2024-03-03
キリストの香り‐赦し
赦しについてインターネットで検索すると、このように定義されます。「他人が犯した罪や失敗に対して、咎めたり罰したりせず、寛大に扱うこと」(ウィキペディアから引用)。赦しは、誰にとっても簡単なことではありません。赦しは、内面に強要したり、説得することで可能となるものではないからです。赦しは漢字語ですが、純粋な韓国語では「エヌラ」と表現されます。ペトロは、イエス様にこのような質問をします。「主よ、兄弟が私に対して罪を犯した場合、何回赦すべきでしょうか。七回まででしょうか」(マタイ18:21)。すると、主はこのように答えられます。「イエスは言われた。『わたしは七回までとは言いません。七回を七十倍するまでです』」(マタイ18:22 )。では、私たちはどのくらい赦していますか?聖書は赦しの模範について、ルカによる福音書第15章で記録されている「放蕩息子のたとえ」があります。神は私たち一人一人を非常に大切に思われており、「見よ、私はてのひらにあなたを刻んだ」(イザ49:16)と述べられています。私たちはすべて「神のかたち」 (創世記 1:26)のとおり創造された「神の息子と娘」(ヨハネ1:12)なのです。自分が大切であることと同じく、他人も大切であります。イエス・キリストが、その人の為に十字架に磔され亡くなられたからです。そうであるならば、私がその人を赦すことは、全く当然なことなのです。まだ私たちの心の中に、誰かを赦せないわだかまりがあれば、悔い改めなくてはなりません。3月が始まりました。惜しまない赦しを通じて、私たちのこころを清らかにし、今年私たちに与えられた標語のように、キリストの香りを思いっきり漂わし、命の福音を伝える風と火花の教会の家族となられることを、イエス様の御名を通じて、お祈りし祝福致します。
兪泰鎬
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