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牧師先生のコラムを通して心の糧を満たすことができる時間になりますように。
2022-10-09
祈りを休む罪(サムエル第一12:23)
私たちの肉は服により覆われ、私たちの血が肉で覆われているように、私たちの霊と体は神様の善により強く覆われています。そのような恵みを与える神様が望むのは、私たちの霊が最善を尽くして神様から離れずに捉え続けることです。その方法の一つが祈りです。クリスチャンは祈りを通して神の前に進むことができます。祈りは神がくださった恵みの通路です。私たちは祈りを通して神の声を聞くことができ、信仰の障害を崩すことができ、聖霊に満たされ病を癒やすことが出来ます。祈るほどに、私たちの信仰は成熟しえます。祈りは深くなるほどに、自分の考えや欲による願いではなく、神様の御心を求めるように変わります。ゲッセマネの園でイエス様が捧げた祈りを黙想してください。イエス様は先ず、「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」と祈り始めます。しかし、祈りが深くなると、「しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください」(マタイ26:39)と神にすべてを委ねます。これが祈りの正しい姿勢なのです。祈りは自分の考えを強要するもののではなく、神様の御心に自分の考えを合わせることであるからなのです。残念なことは、神様からの戒めを犯すことを罪として認めながらも、祈らないことを罪として認識する人はさほど多くないということです。預言者サムエルは 「祈るのをやめ、主の前に罪ある者となることなど、とてもできない」(サムエル12:23)と明言しています。それでは自分はどうでしょうか?祈りを止めていないか、形式的な祈りとなっていないかについて顧みて下さい。祈りを通して神様の恵みと愛を経験する風と火花の教会の家族となりましょう。
兪泰鎬
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