牧師のコラム

牧師先生のコラムを通して心の糧を満たすことができる時間になりますように。

2022-06-05
私は群衆か、それとも弟子なのか? (マル8:34 )
最初の西洋哲学の父と呼ばれるタレス(Thales 、B.C625-BC546)は、こういった質問と回答をしております。「世界で最も難しいことは何ですか?」。「それは自分自身を知ることです」。それから150年過ぎて生まれたソクラテスは(Socrates 、B.C469-B.C399)「自分がいかにわかっていないかを自覚せよ」という言葉で、人間の無知を伝えました。人は多くのことを知っていると考えますが、最も身近な自分自身のことも良く分かっていないのが現実なのです。「自分とは何者なのか?」。聖書は人間について、このように述べております。「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された」(創世記1:27)。神のかたちとして創造された私のために、神はその子イエス・キリストをこの地に送り、十字架につけられたのです。その十字架を通じて、私たちは死から解放されたのです。人間は三つの要素で構成されています。霊と魂と肉です。しかし動物には、魂と肉はありますが、霊はありません。使徒パウルは、霊を持つ私たちをこのように表現しております。「あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか」(コリント第一3:16)。聖霊をもつ私たちは、イエス・キリストに似て行きます。そのような人々のことを弟子と呼びます。6月が始まる中で、私たち自身について今一度確認されることを勧めたく思います。今、自分は弟子として巡礼の道に進んでいのか?それとも単なる群衆の一員に過ぎないのか?6月は、「自分の十字架」を負う弟子となり、イエス様について行く風と火花の教会の家族となられることを、主の御名を通じてお祈り致します。
兪泰鎬
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