牧師のコラム

牧師先生のコラムを通して心の糧を満たすことができる時間になりますように。

2022-05-15
イエス キリストの弟子
新約聖書は4つの福音書から始まります。それらの書には、イエス様のご生誕とミニストリー、そして死と復活が記録されております。一般的に聖書学者は、それらの4書のうちからマルコの福音書が最も初めに記録されたと主張します。これを「マルコの福音書優先説」とします。また3つの書、マタイ、マルコ、ルカの福音書について、イエス キリストを人間という共通観点から記録していることから、共観福音書とも言われています。ヨハネの福音書は、イエスが神の息子であるという観点から記述されており、共観福音書とは性格が大きく異なります。マルコの福音書で、イエス様の共生の開始について、このように記録しています。「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マル1:15)。「時」とは、物理的に流れる直線的な時間ではなく、特別な意味が付与された「神の意志が叶う時間」(カイロス)を意味します。使徒パウロはこのように表現しています。「しかし時が満ちて、神はご自分の御子を、女から生まれた者、律法の下にある者として遣わされました。それは、律法の下にある者を贖い出すためであり、私たちが子としての身分を受けるためでした」(ガルテヤ4:4-5)。「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた神の子ども」(ヨハネ1:12)となる特権が与えられた私たちは、自らを主の弟子であると言います。イエス様の弟子とは、どのような人を指すのでしょうか?所有を超越しなければなりません(マルコ10:21 )。自分の命さえも超越することだけでなく、自分の十字架を負いながら主に従わなくてはなりません(ルカ14:26-27)。主の御言葉通りに生きなければなりません(ヨハネ8:31)。実を多く結ばなければなりません(ヨハネ15:7-8)。私たちの誰もが、聖育されたキリストに似ることで、風と火花の教会のビジョンを叶えていく主の弟子となられることを、イエス様の御名を通じて、お祈り致します。
兪泰鎬
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