牧師のコラム

牧師先生のコラムを通して心の糧を満たすことができる時間になりますように。

2021-08-15
荒野の教訓
旧約聖書は、「イスラエルの民族史」であると言えます。特に出エジプト記は、神の主権と恵みを連想させます。神がイスラエルを荒野に導かれたのは、ただ神のみに仕えることが目的でした(出10:3)。彼らは過越の事件を通じてエジプトを出て紅海を渡って荒野に入ります。さて、荒野とはどのようなところでしょうか?文字通り広大な寄り場であります。私は2018年に、教会の信徒達と共に9泊10日の日程で、イスラエル巡礼に行ったことがあります。その際、荒野で一時間程度立ち止まりひたすら黙想をしたことがあります。荒野は、人が住むことの出来ない捨てられた土地であります。水はもちろん、草一本も見つけることが出来ません。日中には耐えがたい暑い日差しがあり、そして気温差が激しいため旅行も困難です。イスラエル人はそのような荒野を通りカナンの地に入ろうとして失敗をします。その理由は何でしょうか?神の摂理を認めない信仰と決断力の不足のためでありました。その結果、なんと40年近くもの間、荒野を彷徨うこととなりました。神の時となり、再びカナンに向けて出発しようとするとき、モーセは、神の命令を受けて、イスラエル人にこう宣言します。「立ち上がって出発せよ。アルノン川を渡れ。見よ、わたしはヘシュボンの王アモリ人シホンとその国を、あなたの手に渡す。占領し始めよ。彼と戦いを交えよ」(申命記2:24)。起き上がり行進して渡るためには、神が私たち生活に介入されることへの確信が必要です。それを教えるために、40年の荒野生活が強いられました。神は今日も私たちと共におられます。イスラエルの失敗を鑑みながら、御言葉に従う風と火花の教会家族一同となられますことを、主の御名を通じてお祈り致します。
兪泰鎬
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