牧師のコラム

牧師先生のコラムを通して心の糧を満たすことができる時間になりますように。

2021-07-25
言葉黙想と祈り
福音聖歌の中で、「主の喜びとなりたい」というタイトルの賛美があります。リフレインとして、「願いは一つ、主の喜びとなる」が反復されます。クリスチャンである私たちが望むべきこと、たった一つだけを選ぶならば、それは主の喜びとなることなのです。主の喜びとなることは、イエス・キリストに似ていくことを意味します。神様は私たちをキリストに似るように創られました。それは神の計画です。その証拠として、聖書はこのように述べています。「神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです」(ローマ8:29)。神は、私たちがイエス様に似ていき、私たちの思考や行動が成熟することを望んでおり、その姿を見ると喜ばれます。神が喜ばれる姿に変わるように自分を助け訓練させる共同体が、まさに教会であります。私たちは、「神のかたち」(創世記1:27)として創造されました。しかし、最初の人間であったアダムとエバがエデンの園から追い出されてから、私たちの中にある神のかたちが多く毀損されました。その失われたかたちを取り戻すために、神はこの地に、イエス・キリストを送られたのです。誰でもイエス様を受け入れた瞬間から、神様のかたちに似て行きます。聖書は、私たちを「神の宮」(Iコリント3:16)であると述べられながら、神は私たちの品性に多くの関心を持っておられます。聖書の知識を頭に入れるだけでは変わることも、成熟することもできません。御言葉の黙想とお祈りによって、主の喜びとなり、人格と生き方が変わっていく風と火花の教会の家族となられますことを、主の御名を通じて祈り、そして祝福致します。
兪泰鎬
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