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牧師先生のコラムを通して心の糧を満たすことができる時間になりますように。
2021-07-11
信仰と理性、そして従順
信仰生活を送る中で、私たちは、信仰と理性の衝突をしばしば経験します。神様は私たちに、信仰に従って歩むことを望まれますが、私達なりの合理的な理性と世の中で受けた教育により、それを拒否してしまう時があります。愚かに感じ、また自分だけが損をするかのように感じられるからです。信仰と理性間での葛藤の問題については、キリスト教信仰の初期の頃から多くの思想家たちにより議論されてきました。フランスの哲学者であり数学者でもあったパスカルは、その問題について、このように結論を述べております。「あなたの理性が十字架に釘付けとなるその瞬間に、信仰は始まる」。私もその言葉に100%同感します。私たちの理性が十字架に釘付けされたときに、真の信仰を持つようになります。イエス様がそのモデルなのです。十字架を目前にして、イエス様はグツセマネの園に祈りに行かれます。イエス様は神様に対して、このように祈られます。「どうか、この杯をわたしから取り去ってください」(マルコ14:36)。これは合理的な祈りです。しかし、主がすぐに理性を十字架に釘付けられたので、イエス様はこのような祈られました。 「わたしの願いではなく、みこころがなりますように」(ルカ22:42)。神の意志に完全に従う姿です。理性と合理性が基準となるならば、従うことは決して不可能です。クリスチャンの従順は頭で理解して従うものではなく、信仰により実践することを言います。私たちの浅はかな異性と合理性によって、神様の全能性は決して理解することは出来ません。しかし私たちはあまりにも多く自分の理性により神様を判断しようとしています。このようでは、決してイエス様をメシヤとして受け入れることが出来ません。恵みと従順を通して、全き信仰により武装された風と火花の教会の家族となられることを、主の御名によりお祈り致します。
兪泰鎬
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